生まれ持ったセンスなんてない

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何をするにしてもセンスの良し悪しって言われるものですよね。

「これはセンスの良い絵だ。」

「君は野球のセンスがあるよ。」

センスがいいからあいつには敵わない。」

本当にいろんなシーンで耳にします。

 しかし結論から言うと、

 

生まれ持ったセンスなんてものはない

 

と僕は思っています。これはもう間違いないです。

なぜかというと、センス=経験だからです。

いや、厳密にいうと経験→センスです。

どういうことかというと、経験、センス、成果の3つの結びつきを考えた時に


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このように経験とセンスという2つの別のものから成果が生まれるのではなく、

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経験がセンスとなり、そのセンスが成果を生み出すということです。

 

 

 

そもそもセンスとは

 

センスの意味を広辞苑で調べると、

①物事の微妙な感じを悟る働き・能力。感覚。

②思慮・分別

と書いてあるのですが、①の感覚については第六感という意味でシックスセンスという言葉を耳にしたりはしますが、これら意味で日常使いされることはあまりないように思います。

 

日常的なセンスの使い方として、「センスいいね!」というと、ものごとの飲み込みが早い自分と共感を得られる人と同じだけあることしたときにその成果が大きいなどのシーンが想像されます。

 

 

生まれ持ったセンスなんてものはない

 

 

「あの人はセンスがいいからあの人には敵わない・・・。」

 

こんなセリフを耳にすることってあると思います。

確かに、今この瞬間に注目するとこの人と"センスのある人"の差は明らかかもしれません。しかし、この言葉を口にしたこの瞬間に明白になったのは成果の差なのです。

当たり前だ。と思われるかもしれません。でも意外とこの言葉を口にする人っていると思うんです。

 

今目の前に見えているのは成果。

この成果を作ったのがセンス。

 

料理に例えると、

 

成果=料理

センス=調理器具

 

なんです。

 

センスは経験の積み重ね

 

僕たちは今という一瞬を生きているわけではなく、何年、何十年という時間の中で生きています。

今この瞬間だけを切り取って考えるのではなく、そのような長い目で見るとセンスは経験の積み重ねなのです。

具体的にどういうことかというと、生まれたての赤ちゃんは当然何の経験もありません。経験の積み重ねがないわけですからセンスももちろんゼロです。センスの良い赤ちゃんなんて言いませんよね。

ここから成長していくにつれて経験を積み、それがセンスと呼ばれるものになっていくのです。

 

画家の子供は絵がうまい。

歌手の子供は歌がうまい。

 

なんかそんな気もしてしまいますが、そんなことはないと思います。

子どもの一番身近にいる人はほとんどの場合親なので、成長していく過程の中で親が仕事や趣味として日常的に行っていることに触れる機会は他の人よりも多くなります

それは知らず知らずのうちに経験として蓄積され、感性が豊かになり、これがセンスとなっていきます

 

こうして触れる機会が多い、感性が豊かになることによって、その分野において同世代の他人よりも優れている部分が多くなります。このできる!ということが分かることにより自信が持て、さらにやるというサイクルが出来上がっていくのです

 

できる!→自信を持つ→もっとやる→自信を持つ→もっともっとやる→・・・

 

このサイクルが本当に最強なんです。このサイクルが出来上がって継続するというのが本当にもう最強。「好きこそものの上手なれ」とはいいますが、あれは好きゆえにずっとそのものごとを継続できるからでしょう。このサイクルができやすいというのが画家の子どもは絵がうまいみたいなことが起こる理由です。ここにあるのは経験の積み重ねであり、生まれ持ったセンスなんかではありません。

 

センスは経験のハイブリッド

 

センスは経験の積み重ねと言ってきましたが、経験はただまっすぐに積み重ねられるわけではありません

文章を書くのが上手な人は、ずっと本ばかり読み続けて文章を書くのが上手になったのでしょうか。もちろん本はたくさん読んでいると思います。でもその人は本以外にも、他のだれかの話に影響を受けたかもしれないし、他のだれかの絵に影響を受けたかもしれません。だからこそ文章一つにしても十人いれば十人別の観点で別の書き方をするのです。センスは経験のハイブリッドなのです。

絵にしても音楽にしてもこれは表れているように思います。制作された絵や音楽が国ごとに特徴があったり、〇〇ってグループらしい曲だなと感じることがあるのは絵や音楽などの作品がそれらを製作した作者の経験のハイブリッドであるセンスによって作られているからです。

 

運動のセンスにも同じことが言える

 

今まで書いた内容では「野球のセンスがある」といった運動に関するセンスには当てはまらないと思われる部分があったかもしれません。

確かに運動は感性の問題ではありません。しかし、運動のセンスについても同様のことが言えます。

野球やサッカーというスポーツのトレーニングするにあたって、技術の習得や成長のスピードは人によって大きく異なります。

このスピードの差に関わってくるものは色々あると思いますが、

 

体や筋肉の使い方

見ているところ、気付くところの違い

必要な筋肉の量

”バネがある”などの身体能力の要素

 

これらは大きな要因であると思います。

体や筋肉の使い方について、かなり極端な例ではありますが、テニスをしていた人が卓球が上手だということが例に挙げられます。他のスポーツや運動で身に着けた体や筋肉の使い方がうまく活用されるのは経験の積み重ねと言えるでしょう。

見ているところ、気付くところの違いについては、絵画や音楽といったもののセンスの獲得に似ているところがあるかもしれません。大事な部分に気付く、気付かせてもらうの経験を重ねることによって、より大事な部分を自分で見つけることができるようになるのです。

必要な筋肉の量に関しては、もう積み重ねでしかありません。体や筋肉の使い方と同様に他のスポーツや運動で身に着けた筋肉がうまく活用されるのです。

身体能力の要素については、体や筋肉の使い方、また、必要な筋肉の量が決めることです。つまりこれも経験のハイブリッドなのです。

 

センスのある人には敵わない

 

これは当たり前。当然です。

 

センス=経験の積み重ね

 

積み重ねが多い人に積み重ねが少ない人が敵わないのは当然です。

 

 

まとめ

 

 

センスは経験のハイブリッドです。

つまり、今日初めて絵に触れた人の絵画と画家の家に生まれた人が描いた絵画を比べたときに初めて絵に触れた人の絵画のほうがセンスがあると思われる可能性もあるのです。

大事なのは続けること。続けることで経験は積み重ねられセンスは磨かれていきます

何か新しいことを始めるとき、それ自体のセンスはないかもしれません。しかしそれはみんなそうです。経験の積み重ねがセンスとして表れるかもしれない。続けることでセンスが表れるかもしれない。

 

「センスがないから」はもうやめてとにかくやる。そして続ける。

 

そうすればセンスは必ず見えてきます。